「このレシピはなかなか真似できないですよ、みんなの愛情が入っているから。」
Bー1グランプリ公認商品である、自宅で作れる冷たい肉そばキットを片手に、にこやかに語ってくださったのは「かほく冷たい肉そば研究会(通称そば研)」代表の逸見さん。冷たい肉そばは、山形県民のソウフルフード。河北町はその発祥地です。町内には十数軒もの肉そば屋がにぎわいを見せ、現在は県外ナンバーの車も並ぶほど。冷たい肉そばがご当地グルメとしてここまで有名になった裏側には、数々のオリジナル商品の開発を手がけ、各地でPR活動を続けてきた「そば研」の活動がありました。
「そば研」が発足したのは、今から約十年ほど前。ご当地グルメブームがわきおこっていた当時、商工会の職員だった逸見さん。「河北町も一度Bー1グランプリに出てみよう!」とボランティアを募ったところ集まってくれたのが、現在の「そば研」メンバーでした。飲食店は出店できないという規定があったため、オリジナルでの商品開発がスタート。河北町の冷たい肉そばの味を再現しようと、老舗のそば屋さんに足繁く通い、タレの研究から試行錯誤が始まりました。
(※冷たい肉そばの紹介はこちらの記事をご覧ください)
「材料は醤油と酒と砂糖と鶏肉なはずなのに、割合がわからない。そば屋さんも教えてくれない。下手なものを作られると地元に悪評が立つと、反対されることもありました」と、当時をふり返る逸見さん。町のPRのためにやっているということを一軒一軒まわって丁寧に伝えました。そして協力を得られたそば屋さんに試作を持っていっては、アドバイスをもらうことの繰り返し。「砂糖は何使ってる?ーだめだめ、白砂糖だとコクが出ないからザラメの方がいいよ。お醤油は?ー」 皆それぞれの仕事が終わった後に調理室に集まって、理科の実験のように配合を少しずつ変え、作っては食べ、作っては食べ。「ぶくぶく太っていきました」と当時を懐かしげに振り返る逸見さん。五年十年かけて県外からのお客さんが増えるにつれ、最初は懐疑的だった老舗おそば屋さんの態度もやわらかくなり、おいしい肉そばを全国に広めたいと、みんなの気持ちが徐々に一つになっていきました。
そんな渾身のオリジナルのタレ入り「かほく冷たい肉そば」の自宅で作れるキットは、素材にもこだわりを見せます。重要な脇役である、コリコリとした親鳥チャーシューには、山形県産の鶏を使用。町内に鶏舎を持つ「半澤鶏卵」から、純国産鶏種の「もじみ」の親鳥も卸しています。
自慢の麺は、地元「今田製麺所」の乾麺。乾麺とは思えないほどの「しなこい」歯応えが自慢。今田さんは、自他共に「オタク」と認めるほど麺の研究に熱意を見せる製麺所。今田さんのつくる生麺は、地元のおそば屋さんにも引っ張りだこ。オリジナル商品「かほく冷たい肉そば」の開発時は、茹で上がりを早めにしたものや、太さや幅を変えたりと試作を繰り返したものの、反応がイマイチ。「結局、最もオーソドックスな、今田さんが昔から扱っている麺でないと肉そばじゃない、とみんなに言われたんです。」試行錯誤の結果戻った原点は、ずっと昔から地元で愛されてきたそのままの味でした。
ニ〇〇九年から任意団体、ニ〇一一年からNPO法人として、年一五〇回ほど活動している「そば研」。県内外問わず、そばを提供しながら町をPRしてきました。ずっとその中心にいた逸見さん。特に印象に残っている思い出の一つは、とある冬、雪のちらつく中、町内の「どんがホール」屋外広場で開催した肉そば食べ比べイベント。「家庭の味 肉そば選手権」と題し、味自慢の方にタレを何百食か作ってもらい提供しました。寒い中野外で冷たいそばを食べるなんて、人が来るんだろうかという不安とは裏腹に、開催前から長蛇の列、わずか十五分足らずで完売という、町民の肉そば愛を感じるイベントでした。
また、子供たちを対象としたイベントも思い入れの深いもの。学校に出展テントを立てて肉そばを提供したり、授業形式で肉そばの歴史や活動の目的を、誇れるふるさとの良さを伝え、最後に子供たちを町のPR大使に認定します。そんな子供たちも高校に上がったり、帰郷して地元で就職したするのを見ると「放流した鮭が川を上って戻ってきてくれたような気持ちになる」と目を潤ませる逸見さん。冷たい肉そばの魅力とは、シンプルなのに作っても作っても奥が深いふるさとの味であること。 そして、それを通して全国の人と繋がれたこと、冷たい肉そばを合言葉のように、町のために様々な人が尽力くださるようになったこと。「そば研を続けてきて本当によかった」と思う瞬間です。様々な人の想いが詰まっているのか、一度食べたらまた食べたくなる不思議な料理。ぜひ体験していただきたい河北町の味です。
※「かほく冷たい肉そば研究会」HPはこちら。