河北町の中心部から数分北へ、少し落ち着いた住宅街の中に異彩を放つ洋館があります。「パティスリー・デ・ジョワ」という名のケーキ屋さん。入り口にある「Manpei」という表札は、先代までの店名。現四代目オーナーの大介さんから洋菓子店に転身し、今では地元需要はもちろん、県外からわざわざ観光客が訪れる人気店となりました。本当においしい洋菓子をつくるということと、いかに地元素材を生かすかという繊細な天秤をつきつめてきた大介さん。アメリカの家庭では定番だというミルクジャムや、それを使ったシュークリームは人気の目玉商品。そして、山形の果物をまるごと楽しめるタルトや、町内の老舗麹屋「三吉」のたまり醤油や味噌を使ったパウンドケーキなど唯一無二の地元の味も大切に、日々挑戦を続けています。
聞けば大介さんはコンクールで様々な受賞歴を持つ凄腕のパティシエと評判。しかし、元々はケーキに全く興味はなく、ショートケーキは今も一個全部は食べられないと言います。「もともと日大山形で野球をやっていたんです」。もと野球少年らしい爽やかな笑顔で、大介さんはご自身の意外な経歴と地域への思いを、歯切れ良く、そして赤裸々に語ってくださいました。
「ケーキ作りを始めた動機は不純でした」。野球に明け暮れた高校時代、大学も野球の強豪校に内定していた矢先、突然やる気が失せ、野球の道をやめる理由を探していたという大介さん。「監督に、家を継ぐと言えば受け入れてもらえるんじゃないかと思って(笑)」。軽い気持ちで言ってみた「家を継ぐ」という理由で東京の菓子の専門学校へ行くも、お菓子作りに全く興味が湧かずの日々。就職したら本腰が入るのではと、お菓子屋に就職するも全く楽しくなく、「困ったな」と思っていたある日、突然の転機が訪れます。ふと開いた雑誌に載っていたパークハイアット東京のシェフが手がけた飴細工。この人のところに行きたい!と思いが爆発。パークハイアットへ駆け込んだのです。「面白い奴がきた」と、お目当てのパティシエと話すことができ、その人がちょうど地元で独立するタイミングで就職が即決。その内定は一年後だったため、再就職までは東京でDJなどをして「遊びまわっていた」という余白の一年を経て、いざ埼玉の春日部で本格的に修行がスタート。そこで、スイーツのコンクールには飴細工だけでなく様々なジャンルがあり、味覚、香り、見た目の全てで評価されることを知りました。素材を分解し、その味の活かし方を研究するうち、ケーキ作りの楽しさにのめり込んでいったのです。
五年の修行期間を経て、山形がほこるフルーツという素材と、小さい頃から見てきた父の背中が頭をよぎり、悩んだ末に地元に戻りますが、そこから更なる試行錯誤の連続。全く異なるスタイルで和洋菓子を営んできたお父様といざ同じ店に立ち、「バチバチ火花を散らしていた」という数年間。「売り上げをニ倍にしたら社長にしてくれ」と父に挑み、達成した時正式にお店を継いだのです。
「萬平」は、一・ニ代目が和菓子、三代目が和洋菓子。店を継いだ当初、昔ながらの和菓子がなくなってしまったと、地元では賛否両論の声。しかし、和で頑張っている専門学校の同期への敬意もあり、自分は洋菓子の専門性を極めようと、元体育会系の根性気質でお店の改革を推し進めました。現在二百点ほどの商品が並ぶ中、残っている先代の商品は三点ほど。お店の外観も、修行した埼玉のお店をモデルに、フランスのオーベルジュをイメージして大改装しました。やがてお店は県内外の人気店に。会社を株式にした時は、元々の屋号「萬平」を社名としました。先代への敬意を持ちつつ、お店を大変身させた大輔さんの胸の内には、息子と同時に父親としての思い、そして地域に対する深い思いがありました。
「実は最近山形市内に『パティスリー・デ・テラッセ』という姉妹店をオープンしたんです。カフェスペースも増築し、アシェット・デ・セールという皿盛りのデザートを目玉に、バリスタを入れて本格的なカフェを軌道にのせるのが今後の夢」と語る大介さん。それは息子さんのためでもあると言います。大介さんが地元に戻った十年前、河北町の人口は二万人強。それが現在は一万八千人弱と二千人も減りました。自身も地元に戻るという決断は悩ましかった、と当時を振り返ります。「今、これをやっていれば絶対大丈夫なんでいう商売はないじゃないですか。この十年先、さらに町がどうなっているかは誰にも分からない。それでももし地元に帰りたい、と息子が思ってくれた時、選択肢となる場所をもう一つつくってあげたいと思ったんです」。
河北町は川で東西を挟まれ、橋がないと外へ出られない土地だったため、食文化が発展していったといわれています。冷たい肉そばや高級和牛、旬のフルーツにおいしいスイーツと、レベルの高い「食」で一日中滞在できる町として、もっともっと盛り上げていきたいというのが大介さんの思い。「河北町が「かわきた」と呼ばれるうちは、まだまだ頑張らないとなあと思っています」。
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