スリッパづくりのレジェンド

「河内スリッパ」七十年の技

 山形といえば芋煮。芋の消費量は日本一ですが、さらに生産量全国第一位を誇るものが、河北町にはあるんです。それは、スリッパです。
 作り続けて七十年、スリッパ作りのレジェンドと呼ばれる「河内スリッパ」の社長、河内秀夫さん。御歳九十七歳にて現役です。昔から河北町は米生産の副産物である藁を活かした草履作りが盛ん。日本で草鞋の生産量第一位の町でした。しかし、戦後足袋ではなく靴下を履くようになり文化が変わっていくのを感じた河内さんは、誰よりも早く草履からスリッパの製造へと転換し、現在のスリッパ産業の礎を築いたのです。
 二十歳で戦争から戻り、父親の代からの草履作りを継ぎました。昔も今も機械はなく、全て手作業。ミシンを扱う手捌きは、見事です。何の印もつけず、あっという間に鼻緒を縫い切ります。そんな熟練技も、最初は他所からスリッパを持ってきて、分解するところから始まりました。当時は、「一体何が始まるんだ?」と、町の人たちがみんな見に来ては、ばかにする人もいたんだとか。「昔は町内に三十軒ほどの草履屋が軒を連ねたけれど、今は四〜五軒になりました。うちは七十年間店を休んだことはないけれど、取引先が倒産するからなぁ(笑)」

 「スリッパとは、右左がなくさっと履けて足に馴染み、丈夫で長持ちしないといけない」というのが河内さんのこだわり。消耗品として大量生産するのとは真逆の考えです。河内さんのスリッパは非常に丈夫だと地元でも評判。縫い目が足に当たらず足に馴染みやすいような「外縫い」という技法を最初に考えたのも河内さん。脱げにくいようステッチをつけたりと、細部にも常に見えない工夫が施されています。時代に沿ってスリッパの形も変わったと河内さんは言います。最近では、外反母趾予防に素足で剥ぐ草履などが人気。鼻緒も取れにくい縫い方で二重に。新しい商品で目を引くのは、底に和紙を使って細かい凹凸をしつらえたもの。通気性が良く素足で履いても心地良いと好評です。
 昔も今も、履く人のことを真摯に考え、丁寧な手仕事を変えずに続けて七十年。河内さんを始めとして積み上げてきた技と品質は、現在複数社のメーカーが組合となり、「かほくスリッパ」というブランド名で複数社のメーカーの町の産業を支えています。令和二年以降は海外への輸出も始まりました。外と内を分ける日本人特有の文化が世界でも注目されるなか、「かほくスリッパ」を世界中の足元に届けながら、その歴史と技術を後世へと繋ぎます。※「かほくスリッパ」ブランドサイトはこちら